drum stick=left hand



若い頃前途有望であった頃のドラマーであった私
大きな壁にぶつかって、破れなかった、、、
それからは、人生全てが“破れない壁”に鼻をこすりつけているようで

気功という者に巡り会って
今では全てを気功にタイアップして生活している
私がいる。

で、ドラムの練習って結構うるさがれるんだよネ。
だから、机の上に四つ折りしたタオルを置いて
出来るだけ、できるだけ、柔らかく、優しく
いたわるようにたたくように意念して、、、

以前私がたてた、仮説で
スピードを加速すればするほど筋肉は緩んでいく、、、

でも、実際には私の筋肉はこわばっていってたのだが

でも、気功のあり方を応用するようになってから
今まで見えなかった世界/空間が観えてくるようになっている、
とても、少しずつだが、、、

緩める、、、とは勿論手首のことではあるが
指先も、腕も、上半身も、
頭の中だって緩めていく
総合的な“緩み”、“緩みつつある空間”の中で起る
エネルギーの世界

集中力/精神統一なんかもカ~ッとしたものじゃなくて
とてもボワ~ンとしたような感じ
ものが見えているのか、いないのか
“な~んとなくな空間”

ものが無理なく働くとき
正中線(脊髄)は、天と地を貫く絆(いと)の如く
そして、首筋は大地にたいして垂直な感じ
丹田に気の蓄えが増す程、エネルギーは活性されていく
勢いの姿は、発声にも影響を及ぼす
この軽く感じる“弾み”は、全てに通ずる路

りきまなければ、疲れも少ないし
むしろ、とても心地よい空間
これは、“win-win situation” にならないかしら?
mother tteresa
(写真: ネットで拾いました。 ありがとう。)


Wish'sさんのブログを訪れたら発見したんです。


そして、発信元は「Gakt ☆ なマダム」を主宰されている
egoisuto0704さんなんです。


こと言葉を読んでいると、本当にマザーテレサさんの
慈悲にみちたイマージュが眼前一杯に浮かび上がってきます。



~~~~~~~☆☆☆~~~~~~~


人は不合理 非理論 利己主義です。

気にする事なく 人を愛しなさい

あなたが善を行うと 利己的な目的で それをしたといわれるでしょう

気にする事なく善を行いなさい

目的を達しようとする時 邪魔立てをする人に出会うでしょう

気にする事なく やり遂げなさい

善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にする事なく し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう

気にする事なく、正直で、誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが壊されるでしょう

気にする事なく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく 助け続けなさい

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい

けり返されるかもしれません

でも気にする事なく最良のものを与え続けなさい

気にすることなく 最良のものを与え続けなさい  (マザーテレサ)




~~~~~~~☆☆☆~~~~~~~

2003年10月にはオリヴビア・ハッセー主演の
「Mother Teresa of Calcutta」がイタリアのテレビの
シリーズ映画として上演されたそうです。
 


drum sticks



私は若い頃、結構ドラムにハマッていて
朝目が覚めると、もうドラムスティックが掌に
そして、24時間 頭の中はドラム、,,ドラム、,,
ご飯を食べててもお箸が、ドラムスティック


にも、かかわらず一つの大きな壁にぶつかっていて
結局、その頃はその壁を破ることは出来なかった
普通の演奏には困らなかったけれど
でも、自分の中では、いつもそれが気になっていて、、、

2年前だったかな
フッとドラムが叩きたくなったので
スティックを買って、練習し始めた
その頃はもう気功をやっていたのだが、、、
結局、左の手首を痛め、その激痛のため
東洋医学の先生にお世話になった。
その時、自分はダメなんだな、、、と諦めました。

なのに、バカだね。
最近 YouTube で、色んなビデオをダウンロード
できるようになった。再び好奇心に取り付かれて
サーフィングしていたら、ドラムの練習用のビデオを見つけたのだ!!

以前,叩いてた頃より、テクニックにも磨きがかかり
その頃は、解明されてなかった奏法も科学されて
その感覚をつかめれば、誰だって“壁”は破れるようになった

だから、このバカも再び遊び感覚でスティックをにぎる。
練習する時に、気功空間にトラバーユする
[放鬆・入静・自然]

とにかく、力/りきみを抜いて,ぬいて、抜きまくるんです
その継続、,,
気功で錬磨している観察力を生かして
ひたすら、観察するんです、、、筋肉が力んでいないだろうか,,,
手首から肘へ,肘から腕の付け根へ
腕の付け根から、肩甲骨へ、、、上半身、,,
腰、,,下半身、,,足まで、,,
で、大事なのは頭の中も緩んでいる,,,
頭の中が緩むには、首筋が緩んでないといけないし,,,
首筋が緩んでいることは,,,顔面の筋肉/神経も
緩んでいる,,,ハズだ。

その弛みは、総合的なものである。
すると練習している空間で、少しずつだが
微妙な変化が起っていくのが感じられる

ものを科学するって、面白いな
パカだからで切るような気もするし,,,

しかし、これはリハビリにも使えるな,,,



paco de lucia 2
(写真: ネットで拾いました。 ありがとう。)



それも、私の大好きな、パコ・デ・ルシア!!

聴く曲目は:

"Impetu" by Mario Escudero、"Panaderos" by Esteban de Sanlucar


今日は月曜日なので,いつものように
おふくろと出掛けました。

一時おふくろは、自分の記憶力低下を意識し過ぎて
それを隠すのに一生懸命、無駄な神経を使ってたことがあり
神経もカリカリしてたんです。

敬老ホームの看護士に中間介護施設へ移るように
奨められた時には親子ともに、とても複雑な
心境に置かれました。

介護施設に移って5ヶ月過ぎました。
その間に、それまで気を張って偽りの
自分を飾っていた母も、たくさんのスタッフと
ボランテアーの皆さんの温かい心ずかいから
緊張していた心もほぐれ、記憶低下だったはずの
日常の生活にも、笑顔が増えてきました。

いつだったか「企画コーナー」で紹介された
番組で、算数を行うと、頭の回転が回復する
というのをヒントで、私達も毎週昼食後15分程行っています。

最初は、母のプライドが邪魔して、とても嫌がっていたのですが
最近は、私が断固として譲らないので、感情を出さずに
行っています。

本当に週一回なのですが、それでも
以前より、頭の回転が良くなってきました1
大きい数にちっちゃい数を加えるのは、問題なかったんですけど
ちっちゃい数に大きな数を加えるのに、以前は頭の中が
こんがらがっていたのが、先週から結構答えを早く
出すようになりました。

母には、問題を声に出して行うようにしてもらっています。
すると、計算のプロセスも分かるし、
時にはプラス/マイナスを無視しておこなったり
とても面白い計算の仕方で答えを出したりします。

時には、問題集の数字より違った数字を言っているのに
答えは正解だったり,,,

私達には、毎日することは出来ませんが、
ただの週一回のトレーニングでも
頭の変化をもたらすのですから、
頭も使い様によっては、結構ボケを防げるのかしら?

フッと思ったんですけど
心身ともに健全な時には、驚く程の知能指数で
行動していた人が、年老いて案外アルツハイマー病に
なるケースも少なくないような気がします。

頭がいい、、、というより好奇心旺盛の人の方が
いつまでも頭がイキイキしているようにも感じるんですが,,,





日曜日の午前中は気功教室に通うのですが、
今朝は、メンターの S教授も加わり
内容の深い練功になりました。

あなたにとって、メンターとはどんな存在ですか?

教授は数学が専門分野ですが、物理、哲学、化学、
などの研究も進められている方なので
ものの見方がとても寛大です。
お話に広がりがあり、固定/定着した考え方に
なり始めると、知らずしてペンペンしてくれます。

今日は北朝鮮の核実験のあり方について少しふれたのですが
ものごとが押し進められるとき、如何なることでも大事なのは
双方に取ってベネフェットのあるものでは行けない。
言葉、物で暴力を振るうのではなく、穏やかに平和を
感じられる方法を常に検討していくべきである。
私達が共有している宇宙/世界は基本的には調和されて
いるはずなので、視線を常にそこに向けることが大事である。

私達が行っている気功とは、自然治癒力を高める要素も
あるのですが、その根底には宇宙はどのように繋がっているか
それと、どのようにして調和をたもっているか、、、
心身を少しずつ緩めながら静けさを味わい、より自然な
アプローチで体観していく、、、

社会的に大きな問題になる前に
私達、個人が気がつかなければいけないことが
あると思うんですが,,,



valentina Lisitsa
(写真:ネットで拾いました。  ありがとう。)



演奏しているのは、Valentina Lisitsa
ウクライナ地方のキエヴ育ちで、生まれながらに
天才的な演奏ぶりを発揮していたようです。

Beethoven: Piano Concerto no.5 "Emperor"
第一楽章

第一楽章、part 2

第一楽章 part 3

第二楽章
~第三楽章


第三楽章

只今ご主人と一緒にアメリカに住んでおり、
演奏活動の輪を広げています。

出来ればウイルヘルム・バックハウスの演奏が聴きたいのですが,,,





いくらストレスが溜まったからといっても
他人にアタルのは、よくないですヨ。

ひとによると、寝室に行って枕をおもいっきり
殴って,殴って,殴りまくる,,,

あるいは、人気のない所で大声を張り上げる,,,


しかし、こんなのはどうでしょうか?


音が出るものなら何でもいい。
これ!、、、、、見て下さい!!



どうですか? 
少しは胸がスッキリしましたか?

もうチョイ、すっきりしたい?
ナラ、コレダ!!!





戦国時代は、とっくに過ぎたハズ。。。

全ては進化している,,,ハズなのに

私達の心には “安らぎ”を感じるには
ほど遠い現実である

口では“平和”を三唱しているにもかかわらず

なぜ、北朝鮮は核実験を,,,
それが国民が望むことなのだろうか

想うに、私達の身の回りにも
争いごとは起きているようだ、、、血の争いでなくても
言葉の争い,おたがいを知らずして傷つけ合う
私達はそれを望んでいるのだろうか、、、

~私達は魂を磨くことにおいて地上に降りてきた。
 そして、魂を磨くことにおいて、幸せになれる~

傷つけ合うことが、魂を磨くことになるのだろうか,,,

遠くに昔には、私達の心はとても温かかったようだ
いつの間にか、忘れかけている,,,大切なものを

さて、今夜はサミュエル・バーバーの曲:

Samuel Barber: Adagio for Stringsを聴きながら
深い睡眠で、心を癒しましょう。